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「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

しゅんぽじおん−−先生や生徒が一つの部屋に集まり、分野の専門家のお話を聞いて質問・討議をする「それぞれの専門知識を使ったお話の場」だ。

 

といっても、講義や授業のように真面目に話を聞くという場ではなく、ワインとチーズを片手にスピーカーの話を聞き、気になったことを質問するという大分緩やかな場である。

 

今回で10回目を迎えるしゅんぽじおん、そのテーマは「相似とは」である。話者は理学部化学科の深瀬浩一先生、そして情報科学研究科 の和田昌昭先生である。

 

「みなさん、ワインとおつまみは取りましたかー。始めますよー。」

 

司会が会場に声をかけ、少し騒がしがった場が1人目の話者である深瀬先生に注目した。

そうして始まったスライドの1枚目は「相似」をWikipediaで調べてみました、というものであった。

 

「さて、Wikipediaで相似という言葉を調べてみると、次のように出てきます。」

 

全員がスライドに注目する。なぜ最初に言葉のことを話すのだろう、という空気が流れた。

 

「相似を調べると、数学、物理学、生物学には相似という言葉があると書かれています。

 しかし、私のやっている『化学』には相似という言葉がないのです。」

 

化学にだけ『相似』という概念がない。理学の中でただ1つ相似の概念が存在しないという奇妙な状況に、会場からは少し笑い声が漏れた。

しかしすぐに空気が変わる。何故化学にだけ『相似』がないのか、私も含め会場の誰もが疑問に思ったらしい。

 

「相似、を英語で調べてみると、”Similarity”と“Analogy”という2つの単語が出てきます。

 日本語でいう相似とは”Similarity”のことを指すのですが、化学において『相似』に当たる単語は”Analogy”なのです。」

 

なるほど、使用している英単語が違うのか、と私は納得した。

深瀬先生曰く、化学において数学のような『幾何学的な相似』を作り出すことは不可能であるらしい。ペンタセンやヘキサレンなどは似ている、というのが化学屋の感覚ではあるそうなのだが、それは相似とは違うようだ。

 

このような説明をした後、深瀬先生は化学における『相似』を数学物理生物と分けて『機能の相似』だと説明した。

つまり化学における『相似』とは構造式が似ているというものではなく、機能が似ているということだと言う。

 

ここで、機能の紹介をするためにスライドが変わった。

出てきたのはケシの花と種のイラスト。ケシが当初麻酔として使われていたアヘンの材料であるためである。

アヘンの構造式を例に出し、これが痛み止めとしての作用を生み出す部分、などの機能的な説明を行っていた。

しかし問題がある。アヘンは中毒性が高く、麻薬としての作用があるということだ。これでは医療の現場で使うことはできない。

それではアヘンに変わる新しい化合物を紹介しよう、とスライドが次に移る直前。

 

「みなさん、ケシの種は購入できますが育ててはダメですよ。法律に引っかかりますからね」

 

深瀬先生の言葉に会場が笑いに包まれた。

 

次のスライドではモルヒネ(これも麻酔作用があるが中毒性が高い)の構造式が現れた。そして似たようなものとしてメチオニンエンケファリンの構造式も並んでいた。このモルヒネとメチオニンエンケファリンは鎮静作用の相似、そして構造の類似があるのだ。

メチオニンエンケファリンとは、激しく運動すると出る鎮静効果のあるもので、ランナーズハイなどの時に分泌されるらしい。

 

「ということはなんどもランナーズハイになっていると中毒になって病みつきになっちゃうんですか?」

 

その会場からの質問に周りが笑いだす。深瀬先生も笑いながら、

 

「メチオニンエンケファリンはよっぽど激しく運動しないと出ないんですよ。疲れた体に、疲れを感じさせないための物質なので。

 でも、なんどもやっていると少しの運動で分泌される………かもしれないですね。」

 

と答えた。この回答に会場の人も笑いながら隣の人と顔を見合わせていた。運動する人には経験のあることなのかもしれない。

深瀬先生は、モルヒネでは中毒性があるためこのままだといけない。そのため、化学屋は似たような鎮痛剤を開発してきたと仰った。

ヘロイン、オキシコドン、それ以外にもいまだにいろんな人が開発を続けているようだ。

 

話は変わり、機能の似たものとしてステロイドホルモンの話になった。その中には男性ホルモン、女性ホルモンの構造式もあった。

その2つをよくみると、Hが2つ追加であるかないかだけの差しかなかった。会場がこの小さな違いに興味を示し、先生の話を熱心に聞いている。

 

「構造がここまで似ているのに、効果が違うっていうのはどういうことなんでしょうか?」

 

会場からの質問。これに対して先生は、

 

「この2つのホルモンの差は小さいけれども、受容体が受け取るホルモンが違うので、効果が違うんです。」

 

へー!と感心する声があちこちから上がる。小さな違いでも受容体はその違いをしっかりと区別しているらしい。人体の神秘だなと感じる瞬間であった。

 

話が進み、話題は深瀬先生が実際に行っている研究に移った。

 

「ここに大腸菌リピドAという、すごく毒性の強い大腸菌の構造式があるんですけど、」

 

そういってスライドに表れた大腸菌リピドAの構造式。話を聞いていると、この構造式で特徴的なP(リン)を取り除くと、この大腸菌の活性がマイルドになるらしい。これを応用して作られた薬の1つが、話題になっている子宮頸癌の予防ワクチンに使われているようだ。

また、大腸菌と聞くとO-157のような毒性の強いもののイメージがあるが、実は大腸菌のほとんどは病原体ではないらしい。ならばなぜ大腸菌が病原体となることがあるのだろうか。不思議に思っていると、説明があった。

 

「強い病原体だと、すぐに免疫が反応して攻撃されてしまうので、活性をわざと弱めているんです。そうしてギリギリ攻撃されない毒性を攻めているんです。その例の1つがカンピロバクターです。」

 

そうなのかという声や、カンピロバクターで食中毒になったことあるわーという声が会場からちらほら聞こえてきた。

その毒性が免疫のギリギリを攻めて生きながらえようとしていると考えると、免疫と菌の戦いとは過酷なものなのだなと思った。

 

 

そのほか、免疫細胞の中で生きている「共生菌」の存在や、生体分子ネットワークなどの話があった。

特に酵母のインタラクトーム(細胞内全ての分子間の相互作用)を可視化した画像がスライドに表れた時は会場から様々な感想や意見が上がったが、深瀬先生自身の

 

「これを見てもすごい、ということしかわからない。」

 

という発言ほど、会場に笑いが起こった場面はなかっただろう。

そうして会場に様々な議論が起こりながら、1人目の話者である深瀬先生の話は終わったのである。

 

 

一度小休止を挟み、会場がワインとおつまみを補充してしゅんぽじおんは再開した。

2人目の話者は和田先生。情報科学研究科とあるが、理学部でいう数学科に似たようなことをしていると思えば良いらしい

そうして簡単な自己紹介の後に、和田先生は次のように仰った。

 

「最初持ち時間30分って聞いていたんですけど、すでに予定時間過ぎてますね。」

 

実は予定の時間では1人30分の持ち時間のはずだったのだが、この時点で開始から1時間経過していた。しゅんぽじおんでは大体いつも通りのことなので気にしてはいなかったが、改めて言われると確かに、と笑ってしまった。

 

仕切り直して数学的な視点から、「相似とは」というテーマで迫っていく。

 

「みなさんも相似といえば、中学校で習った合同と相似が思いつくんじゃないかと思います。」

 

そういってスライドに表れたのは合同と相似の条件。この条件というのは紀元前に書かれた幾何学原論にはすでに書いてあった、という話から始まった。数学でよく使われる公理、定義、証明による議論の進め方というのは、この幾何学原論のことからあまり変わってはいないのだそう。物理や化学、生物の人にとっては考えられないことである。

 

和田先生の話によると、一口に『相似』といっても複数の意味があるらしい。

まずは『相似』が出てくる数学の分野として、幾何学から迫っていくようだ。

 

次に出てきたのがFelix Kleinのエルランゲンプログラムの話である。これが何であるかというと、幾何学というのが何なのか・どのように研究をしたら良いのかという指針を示したものであるらしい。

 

「Felix Kleinは幾何学のことを次のように言ったんです。幾何学とは『変換群によって不変な』図形の性質の研究である、と。」

 

この話が始まると、会場は和田先生の話を真剣に聞く空気に包まれていた。数学に詳しくない人でも、何か惹きつけるものがあるようだと思った。

 

ここでこの『変換』と『相似』に関して、先生はどんどんと説明を加えていく。

 

「相似変換、というものが幾何学にはあるのですが、これは回転と平行移動とスケール変換を合わせたものなのです。これを相似幾何学という風に言います。」

 

これ以外にも様々な変換があるとスライドで紹介があった。変換に種類があるというのは、エルランゲンプログラムによって生まれたらしい。つまり、ユークリッド以来ふわっとした定義しかなかった幾何学というものに、エルランゲンプログラムは様々な種類付けを行ったというのだ。私は、純粋にすごいことだと感じた。

 

スライドが映り、少し話題は変わった。Leonhard Euler、物理でも有名なこの人の名前が出てきたとき、会場にいた物理学科の人々がスライドをよく見ようしていたのが視界に移った。和田先生が次にどんな説明をするのか、私も楽しみだった。

 

「Eulerの名前を出しました。ただこれから話すことは別にEulerが発見したというわけではないんですけど。」

 

発見したわけじゃないのか、と私は内心突っ込んでしまった。ただ、ここで言いたいことは人のことではなく、次に出てくることなのだろうと構える。

 

「平面状の相似変換は複素数の一次式で表現できるんです。」

 

この説明に会場ですぐにわかった人と、一体どういうことなんだと考えた人がいた。会場もスライドを見ながら、その意味を読み取ろうと真剣に考えているようだ。和田先生はすぐに追加で説明を加えた。

 

『相似』という概念は幾何学的なものだったが、一次式で書けるということによって代数の概念としても扱うことができるようになった。

 

まとめるとこのようなことらしい。この概念の導入によって、正十七角形がコンパスと定規で描けるという事実が代数の証明で発見されたりしたようだ。図形的なことでは見えてこなかったことも、式で表現すれば見えてくることもあるということは、ある問題を別のアプローチから解くことによって解決したということになる。数学も最初から全てが繋がってはいなかったということに少なからず驚いた記憶がある。

 

次に出てきたのはBenoit Mandelbrotのフラクタルという考えだ。フラクタルは異なる2つの縮小相似変換によって自分自身の一部と相似な図形のことらしい。文字で書くとよくわからないが、スライドにあったイラストや野菜のロマネスクなどを見ると、何となくイメージをつかむことができた。

 

「実はフラクタルには数学的な概念はないんです。というより、正しく定義ができない。」

 

和田先生がそういうと、会場からへーっという声が上がった。直感的にはわかることでも、数学的に厳密に定義はできないようだ。

この概念はCGや数理生物学で流行った概念であるらしいが、数学的にはあまり研究されていない、と話された。

面白そうなのになぜ流行らなかったのか、そう思っていると次のスライドに答えがあった。

 

メビウス変換。August Ferdinand Modiusによる回転、平行移動、スケール変換、反転で生成され、複素数の一次分数式によって表される変換のことだ。これがフラクタル以上に流行ってしまったために、フラクタルは注目されなかったようだ。

 

ここまで数学的な話をしたところで、和田先生が宣伝させて欲しいものがあるという。

そして出されたのはOPTiと呼ばれる、和田先生が開発されたアプリケーションだ。直感的にメビウス変換を感じることのできる、無料アプリケーションである。実際に動く様子が紹介されたが、その模様の変化に会場が沸いていた。

その模様に関連して、紹介されたのは超ひも理論の曲だった。この超ひも理論の曲のCDジャケットに当たるイラストは、このOPTiによって書かれたメビウス変換の模様であるという。気になる方はAppStoreとiTunesを検索して欲しい。

 

2人目の和田先生の話が終わった後も、会場で色々な会話が行われていた。

第10回目に当たるしゅんぽじおんは盛況のうちに終了した。第11回はどうなるのだろうか。

(文責: 匿名学生)

 


 

今回で10回目という節目を迎えるしゅんぽじおん。

テーマは 「相似」とは?

登壇者は、理学研究科で、天然物有機化学を研究されている深瀬浩一教授と、情報科学研究科で最近は数理情報学を研究されている和田昌昭教授のお二人。どんな話が展開されたのか、振り返っていきましょう。

 

しゅんぽじおん前半は深瀬先生のターン。

Wikipedia引用から話は始まりました。

 

相似とは、“互いに似ていること”であり、

数学では、“図形の相似、行列の相似”が、

物理では、“相似則、力学における相似”が、

生物では、“相似”がある

(Wikipediaより)      

 

そこに、化学について記述はありませんでした。

 

「では、そもそも化学における相似の概念はないのか?」

 

実際はそうではなく、化学においても“活性”における相似が存在しています。また、数学、物理の相似は“Similarity”と、生物の相似は“Analogy”と訳されます。化学的相似は、どちらかと言うと“Analogy”の概念に近いそうです。深瀬教授は、このAnalogy的化学的相似を軸として、話始めていきました。

 

最初に出てきたのは、アセン類。化学における機能的相似の例です。

アセン類は、化合物の大きさによって、蛍光性を有したり、蛍光色が変化したり、赤外波長へ近づいたりとその性質が変化します。こういった着眼点により、化学では、いくつかの化合物を機能的に相似であると捉えています。が、非常に境界が曖昧であり感覚的な部分が大きいようです。

 

ここでの、

 

「化学には無限がない」「化学で扱うものは所詮有限である」

 

という深瀬教授の発言に、主に物理学科の聴衆から

 

「無限がないとは?」「無限がないのであれば熱平衡はない?」

 

というツッコミが殺到しました。食いつく箇所というのは、専門分野をよく反映しているみたいですね。

 

次は、ケシの花とその成分のお話。ケシの花はアヘンの原料ですが、ここで

 

「なぜ、植物の作る分子が麻酔効果をもっているのか?」

 

という疑問が生まれます。実は、1970年代、モルヒネを感知するレセプターが脳内に発見されており、これによりアヘン(モルヒネ)が人にも作用します。人間も、エンケファリンという脳内麻薬を分泌します。エンケファリンの部分構造とモルヒネの構造が類似していること。これにより、本来エンケファリンと対応するレセプターが、モルヒネにも反応し麻酔効果をもたらすのです。

 

ホルモンも話題に挙がりました。女性ホルモンは、男性ホルモンから作られており、違いはたった水素原子2つ分。これは、受容体の差異によって見分けられているんです。どうして人間がこういう選択をしたのかは不明ですが、生物体が如何に緻密な反応や構造によって構成されているかを思い知らされました。

 

化学物質においては、構造、活性がともに類似しているものばかりではありません。活性は類似しているが構造が大きく違うものや、構造が少し違うだけで反対の活性を示すものも存在しています。やはり化学の世界も、一筋縄では語れないのですね。

 

そして話は、タンパク質、病原菌、バクテリアと移っていきました。

タンパク質構造の3Dモデルを示しながら説明をする深瀬教授。どんどん説明して行くわけですが、タンパク質構造は3Dモデルや拡大図にしても複雑極まりないものです。(私も、授業中にタンパク質構造を見せられた時はポカーンとするしかありませんでした。)ということで、聴衆の皆さんも「わからんなぁ~」と言わんばかりに笑っていらっしゃいました。

一方、わざと活性を弱めて、すぐには自然免疫にやられまいとする病原菌の戦略には驚嘆しました。また、自然界には、免疫細胞内に生息し共生作用を示す珍しい共生菌存在するとのこと。深瀬教授、これを使って何かを企んでおられるようです。

 

話を聞いていく中で、化学的相似、“活性の類似性”という観点から化学を見直せました。普段はここの性質ばかりを見がちですが、時々俯瞰してみると別の物事が浮かび上がってきて面白いです。深瀬教授は最後に、“ネットワーク構造から細胞構造を導き出すことが化学の大きな目標の一つ”とおっしゃられていました。機械学習や計算能力が指数関数的に跳ね上がっていく現代においては、電脳空間に細胞を再現できる日もそう遠くないと思えます。

 

 

さて、しゅんぽじおん後半は、和田教授のターン。

 

和田教授は、大阪大学大学院情報科学研究科所属。情報科学研究科は、理学部数学科と基礎工学部の一部の研究室から創設された専攻とのことでした。

 

早速、

「情報学部はつくらない?」

と野次が飛び、

「私がどうこうできることじゃない・・・・。西尾総長が画策されているようですが。」

と、和田教授が応答。情報処理や機械学習がどんどん必要とされている昨今ですから、情報学部の創設は求められていることなのかもしれません。その後、今回の登壇依頼対して、色々思うところをぶっちゃけた後、

 

「(今日、言いたいことは)半分言った」

 

と笑いを取って、本題へ入っていきました。

 

“相似”とは? というテーマから、和田教授は「幾何学」をチョイス。著名な数学者を取り上げながら幾何学の世界を巡りました。

 

ユークリッド(?)

まずは、ユークリッドの幾何学原論からスタート。2000年以上前、ギリシャ時代に書かれた書物で、“物事の定義”や“公理”を元にした議論の手法が確立されたそう。2000年以上経過した現代数学でも、この議論の手法が用いられており、他に類を見ません。それだけ長期間変わることなく用いられているのですから、数学が如何に厳密な議論に基づいている学問であるかを実感できることと思います。

 

これ以降は、時代を一気に遡って18~19世紀の数学者が取り上げられました。

 

ヘリックス・クライン(1849~1925)

ヘリックス・クラインは幾何学に絶大な影響を与えた「エルランゲン・プログラム」を考案した方です。彼は、

 

幾何学とは、変換群によって不変な図形の性質の研究である。

 

として、幾何学を変換群ごとに分類しました。例を以下に挙げてみます。

 

合同変換で不変な図形の性質の幾何学→「合同」幾何学

相似変換で不変な図形の性質の幾何学→「相似」幾何学

射像変換で不変な図形の性質の幾何学→「射像」幾何学

同窓変換で不変な図形の性質の幾何学→「位相」幾何学

                      ・・・

 

現代も、この流れが受け継がれているそうで、その影響の程を伺いしれます。

 

オイラー(1707~1783)

現代数学に大きな影響を及ぼしたトップ5に入るらしい、オイラー。オイラーの公式には馴染みのある方も多いかと思います。さて、オイラーが生きた時代に幾何学と代数学とによる劇的な出会いがありました。これにより、

 

平面上の相似変換は複素数の1次式で表現される

 

ことが分かったのです。簡単に言うと、次のことが成り立つってこと。(たぶん)

 

回転             

平行移動       

倍のスケール変換 

 

相似変換はそれらの合成 で表現される

 

「こういう全然違った分野の概念が出会うことがあると、そこに面白い理論、深い数学が展開する」

 

と和田教授も熱弁されていました。この出会いによって、「正17角形の作図がコンパスと定規だけで可能だとわかった」というのは、個人的に非常に衝撃的でした。

 

その後も、マンデルブロットのフラクタル、メビウスのメビウス変換を取り上げながら、幾何学の世界を見ていきました。特にフラクタルは、一時期生物やコンピューターグラフィックで有名になりましたので、ご存じの方も多いかと思います。

 

最後は、和田教授自身の研究について。和田教授が開発し、AppleStoreで無料公開中のOPTi4.0は、メビウス変換を視覚的に捉えるための研究ソフト。実際に、操作して見せていただきましたが、そのプログラムが描き出す美しい幾何学模様やその変化に、感嘆の声とともに聴衆一同釘付けになりました。また、教授の

 

「理学部というところは、面白いからやっているわけで」

 

という一言に、理学部がどういう学部なのかが凝縮されているように感じられてならないです。しゅんぽじおんで登壇される先生方は、皆さん例外なく楽しそうに語られます。自分が「面白い、突き詰めたい」ことをされているというのを、毎回レポートを作成しながらヒシヒシと感じる次第です。

 

そして、最近の数学界については、発見を評価する時代が必要だと主張。20世紀の数学界は、これまでに発見された仮説や理論の証明ばかりに取り組み、そういう人ばかりが評価されてきたそう。でも、そろそろ発見を探さないと面白いネタが尽きてしまうという危機感があるそうです。証明だけでなく、発見も評価される時代になってほしい。そんな思いを語り、橋本教授とのコラボになる“超ひも理論の歌”を披露して終わりとなりました。

 

今回で10回目を迎えたしゅんぽじおん。初回からほどんど欠かさず参加している私ですが、前後の雑談・議論も活発化し、話途中の発言も増えてきていると感じています。どんな形であっても、このような集まりが続いていき、色んな人が巻き込まれていくことを願ってやみません。

 

(文責: 藤井匠平)

 

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

 しゅんぽじおん—先生や生徒が一つの部屋に集まり、分野の専門家のお話を聞いて質問、討議をする「それぞれの専門知識を使ったお話の場」だ。

 第9回目となる今回のテーマは「崩壊」である。話者は2人、物理学専攻の山中先生と化学専攻の篠原先生だ。私は1人目の話者である山中先生の話を聞きながら、見たこと感じたこと思ったことを書いていきたいと思う。

 山中先生は物理科の中でも素粒子実験を行う実験屋さんであり、テーマ「崩壊」に合わせて先生が話されたのは素粒子実験屋にとっての崩壊、つまり素粒子の崩壊である。話の導入では平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声~」と突然の音読が入り会場も何事かと、先生とスライドに注目している。そして春の夜の夢のごとし、まで来ると次にきたフレーズは「重い粒子も遂には軽い粒 子に滅びぬ(元は猛き者も遂には滅びぬ)」。粒子の崩壊につながり、会場は笑いとともに拍手が響いた。重い粒子は安定していないと軽い粒子になってしまうのを詩になぞらえていたのは、素粒 子に理解の浅い私でもとても面白く感じた。

 次のスライドで式と図が出てくると一番前に座っていた小学生くらいの男の子が先生に質問。まさか大学生と先生に紛れて小学生が参加していたとは思わなかったが、質問の内容も思っていた 以上にしっかりしていて驚いた記憶がある。先生もそれに対し真摯に答えていたので、小学生の方も納得してご機嫌だった。スライドが進むと次は粒子の崩壊にかかる時間、そして崩壊する際に ニュートリノと呼ばれる見えない粒子が崩壊の質量保存に関わっていることが説明された。物理 屋は粒子の崩壊の際に質量保存がされていないとは考えず、何か見えてないものがあるのだろうと いう発想になるのは普通の人にはない感覚なのかなと感じた。その後もパリティの破れの説明が図を用いて説明されたり、反粒子と呼ばれる物質があるんだよという丁寧な説明で素粒子をあまり知らない人にもわかりやすくなっていた。なるほど対称性が保たれていて良いなーなどと説明を聞いていたのだが、その説明の次にあらわれたのは「CPの破れ」、いわゆる対称性が破れてい ることもあるという説明だった。対称性を信じていた私は出たな例外!という気持ちになった。 この辺りの理解は難しかったが、物理も対称性がいつでも成り立たないということを理論に持ち出す段階になったのだろうということが推測できた。

 中盤、素粒子研究者にとっては切り離すことのできない理論である「標準理論」の説明になる。 素粒子はこの標準理論によって説明されるのだが、まだまだ未完成であるという。どういうこと なのだろうと話を聞いていると、宇宙ができた直後の、宇宙の最初の頃には反粒子が存在していたのだが、今の宇宙には反粒子が存在しておらず、時間が経つ中でどこかで対称性が破れているこ とを示しているとのこと。この対称性の破れが標準理論では説明ができず、この破れを説明するた めの新しい素粒子理論が必要とされているらしいのだ。その新理論のための手がかりを、山中先生は実験によって探そうとしている。実際に先生が行っている実験の機材や方法が写真付きでス ライドで説明されたが、人より大きい機械に様々なプラグや機械を差し込み、実験している様子 を見ることができた。そんな人より大きい機械はなんのためのものなのかというと、γ線を正確 に検出するためのもので、その設定をするだけでとんでもないほどの作業になるらしい。機械を説明しながら先生は「この機械はこれだけプラグ付いているんですけど、2ヶ月弱くらいだけで済 んだんですよね」とおっしゃっていた。果たして2ヶ月弱の期間を「だけ」で済んだと言っていい のかその感覚がよくわからないが、装置によっては半年以上かけてセットを行うらしい。

 会場内が「半年………?」と困惑した空気をだしていたが本当にその通りだと思う。

 最後に素粒子物理学における崩壊とは「新しい素粒子物理を探る道具」と位置付けて先生のお話は終了。この後発表中にあった実験のデータの誤差評価や今後の予測についての質問が多く寄せられ、先生も細かく説明していた。

 現在の理論である標準理論を正しいものを信じて疑わない、ということをせず、標準理論を超えて 全ての現象を説明しようとするための新しい理論を考える姿勢が、科学者としてすごく手本にな るなと感じた。

 以上が主観的な、第9回しゅんぽじおんの感想である。

(文責:匿名学生)


前半の山中先生の講話とお酒に酔いしれ、場は温まっていた。
司会者が雑談で盛り上がる参加者に着席を促し、ようやく第9回しゅんぽじおんの後半が始まった。

「山中先生なら、ああいう話(粒子の崩壊)をするだろうと思ってました」
山中先生の講演を見越したような篠原先生の一言に、会場が笑いに包まれた。

化学専攻である私にとって、崩壊といえば放射化学。大阪大学で放射化学といえば、篠原先生である。

放射化学を取り扱う篠原先生の講演の始まりは、
“サブアトムの世界 と その歴史”
放射化学が今日まで辿ってきた軌跡を、黎明期から現在まで遡った。

「物質は何からできているのか」

人は太古の昔からこの問いに向き合い、その答えを探し続けてきた。私も、幼いころこんな類の哲学的なことを幾度も考えたことがある。結局、明確な回答を出せたことはないのだが、人類は長い歴史を紡いでいく中で一つの答え、“原子”にたどり着いた。それが、約2世紀前のことであった。しかし、放射能の発見により、その原子ですらも崩壊することがわかった。これが、素粒子論の誕生と発展へと繋がっていくことになる。これまで幾度も篠原先生の講義で聞いてきた流れだが、やはり人類は中々に凄いことをやってきたと感じざるを得ない。

素粒子といえば、大阪大学では湯川先生と中間子論が出てくる。
篠原先生も、
「日本は、湯川先生の中間子論を始め、素粒子の研究分野においては強い。」
と一言。やはり大阪大学の先生方(特に理学部)は湯川先生のことを、どこかで意識していると再確認した。

そして、篠原先生が原子炉と原爆の写真を見せながら
「放射化学は、原子炉があるがこれ(原子爆弾)もあるから難しい」
とポツリ。会場に笑いが起こりました。

次のスライドへ移り、ニホニウムが追加された最新版の周期表を見せながら、放射性元素について語りだす篠原先生。

周期表を眺めていた橋本先生がふと、
「第7周期が完成したことは重要なのか?」
と質問すると、篠原先生は
「いやあ。 でも、めでたいです」
と回答。このやりとりに、他の聴講者も笑っていた。

講義が中盤に差し掛かる頃、放射性元素の「放射壊変」の説明に入っていく。元素は結合エネルギーを持っており、それは原子核によって変化する。これにより原子核の安定性が決まり、重元素の放射性壊変や核分裂が説明されるのである。

「(元素が)放射壊変したら放射線がでる。多くの人がそこばかりに注目するが、その裏で残った原子(原子核)は偉い目にあっている」
と力説する篠原先生。私の頭は“?”で埋まってしまった。続きを注意深く聞いていくと、

放射壊変後に残った原子核は

・100keV位(化学結合なら切れてしまう位)の反跳を受ける
・α、β崩壊では、電子の再編成や励起が起こり、場合によっては化学変化を起こす
・γ崩壊では、γ線を放出してもエネルギーが余って高電状態になる

つまり、壊変後、残された原子核はボロボロになっているのである。私もこれまで、放射性壊変では、放出される放射線ばかりに注目していた。しかし、残された原子核にここまで色々な影響があり変化があると知ってしまったら、注目せざるを得ない。

篠原先生は、この“残され(ボロボロになっ)た原子核に何か面白い化学があるのでは?”と注目し、研究しているのだ。言い換えれば、これまでの“原子が安定不変であること”が前提の化学ではなく、“そういった前提が成り立たない条件下”での化学を研究されているのだ。
他に、超重元素領域の短寿命、極微量原子の化学的性質の測定やエキゾチック状態の原子の研究についても言及されていた。ここで、篠原先生の講演は終了。ここから、司会者が止めるのを躊躇するほど、参加者との議論、そして、参加者同士の議論が白熱していった。

篠原先生の研究は、統計学が成り立たない条件下での化学であったり単一原子の化学であったりと、かなり特異的な化学であったと思う。私がこれまで学んできたものが、ほとんど通用しないような世界があること、それを知ることができただけでも有意義な時間であったと感じている。

(文責:藤井匠平)

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは
プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです.

 

 徐々に活性化状態へと高まっていった、第7回しゅんぽじおん(2018年11月12日)。今回は久しぶりの開催と相成ったわけですが、教員、学生ともに人数も集まり和やかな雰囲気から始まりました。今回のテーマは、「状態とは?」。登壇した藤原先生(数学)と尾田先生(物理)は、それぞれの分野における概念を武器に、このテーマに挑みました。  

 前半の藤原先生は、「状態」という言葉の定義からスタート。自然法則の発見を幾つかの部分に分け、数学的に分析していきました。その中で、「純粋状態」という言葉を巡り、物理と数学との間で議論が白熱。物理と数学とで「純粋状態」という言葉の定義が違うことによる見解の相違でしたが、教員同士の議論というものは、学生という立場からは新鮮でした。

 後半の尾田先生は古典力学と量子力学の比較からスタート。物理学的観点から「状態」というものが何であるか記述していきました。時々、定義の確認ややり取りがありましたが、しゅんぽじおんらしい光景でした。お酒のせいもあってか、参加者の口も思考もよく回っていました。

 今回のしゅんぽじおんは、登壇者と参加者が気兼ねなく議論を交わし場も盛り上がるなど、本来のあり方に一番近い回だったのではないでしょうか?これからも開催されるようなので、さらに参加者が増え議論が活発になって欲しいものです。

筆:藤井 匠平

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.33 No.05 2018-05

 

 

2017年11月8日午後5時半、大阪大学理学部。ついに理学の饗宴『しゅんぽじおん』で、その主題を「エントロピー」とするときがやってきた。

そもそも、ワインとチーズを楽しみながら、理学のキーワードを肴(さかな)にして、わいわい議論しようや、という会なのであるが、そこに「エントロピー」とかいう小難しいキーワードが現れて、はたしてワインを楽しむ余裕が出てくるのだろうか。

そんな不穏な雰囲気を感じながら、続々と研究者や大学院生が集まり始めた。

 

 

『しゅんぽじおん』も第4回を迎えたが、第1回「時間とは?」第2回「カオスとは?」、第3回「生命とは?」と続いたお題に比べると、「エントロピーとは?」はかなり敷居が高い気もする。

 

「う~ん、今回のお題はエントロピーですからねぇ」

 

と、私は隣りにいつも座っている基礎理学研究センターのセンター長の豊田さんに話しかけた。

 

豊田さんは、「どうなるんでしょうねぇ、とりあえずワイン飲みましょうか」と、のんきな答えである。

 

そのときわれわれはまだ、今回の講演が「エントロピーって難しい」派と「エントロピーって簡単」派の対決になろうとは、まったく想像もしていなかった。

 

今回の講演者は、物理学者の湯川諭さんと、化学者の中野元裕さんである。おふたりがミーティングスペースに現れたので、「今日の順番、どちらが先にします?」と尋ねてみた。そう、そんなことすらあらかじめ決まっていない、ざっくばらんな会なのである。

いろいろと相談したところ、ワインの酔いが回る前に物理学者の湯川さんの数式をみておいたほうがよいのでは、という至極真っ当な意見が出て、湯川さんが先に話すことになった(あとで思い出してみても、この選択はまったく正しかったのである)。

 

 

物理学者の「エントロピー」

 

   

 

登壇者:湯川諭氏

 

 

物理学者、湯川諭さん
「エントロピーって、難しいですよね、いろんな定義があって」

 

「こんにちは、初めまして。宇宙地球科学専攻の湯川といいます。橋本さんからメールをいただきまして、今日はこんな機会をいただきましてどうもありがとうございます。すでにもういっぱい飲んでしまって、何杯かわかりませんけども。いくらでもいただきます」

 

湯川さんも、ちゃんとワインを飲んでいるらしい。素晴らしいスピーカーである。皆、質問しやすくなるだろう。

 

「あの、じつは僕、この会に今日は初めて来させていただきまして、どんな感じか全然わからなくて、タイトルも何もなしで出てきてます(笑)。統計物理学を専門にしてまして、まぁふだんは非平衡の基礎のほうから、パターンとか交通渋滞とか、古典的な基礎的なとこからゲテモノのほうまで『非平衡』というキーワードでいろいろやってます。今日は『エントロピー』というお題で、ということなんで、最近のわれわれの業界で発展してきたこととかを含めて、まとめて10枚くらいスライドをもってきたんですけど、えっと時間は何分でしたっけ?」

 

聴衆から「プラスマイナス15分」という声が飛ぶ。

 

そこに聴衆から「マイナスもあるんか」のツッコミあり(一同爆笑)。

 

「僕、統計物理学者なんですけど、エントロピーって何かやっぱりよくわからない。ですね。わりと皆さんそういう感じの印象あるかもしれませんけど、やっぱりあの統計物理学を研究してるっていってもやっぱりわかんなくって。まあよく考えるとわかんないから統計物理学を研究してるのかなっていう気もしないではなくって、高校のときとか確率とか全然わからなくて、わかんないから統計物理を始めたというような気もするんです(笑)」

 

湯川さんにそういわれると、エントロピーが感覚的にわからなくても、ちょっと救われる気がする。

 

「いずれにせよ、どういう面でわからないのかなあということをつらつら考えてみると、たぶんですね、定義がいっぱいある、ということが問題なんですね。『エントロピー』って一言でみんないうんだけれど、定義がいっぱいあって。1番スタンダードなやつが、学部の1年生2年生ぐらいで習う『熱力学エントロピー』ってやつで、平衡状態に外からなんか仕事を加えたり、準静的に変化させたりしながら、平衡状態を移動させるということをやります。そのあいだに、準静的にゆっくりやりながら平衡状態を保つということをやりながら熱の出入りを勘定してやって、温度で割ったやつを積分したら、それが基準状態に対するエントロピーという量を与える、という定義です。これはクラウジウス(Clausius)が最初にいい出した、たぶん1865年くらいの定義ですね」

 

湯川さんは冒頭のスライド〈図1〉を指さしながら定義を説明した。次のページには、さまざまな定義らしき式が並んでいる。

 

〈図1〉 湯川さんのスライド「熱力学的エントロピー」「統計力学的エントロピー」

 

「ところが、そのうち3年生になると統計力学を習います。そんとき、じゃあ熱力学で習ったエントロピーってどう定義しますかっていうと、全然似ても似つかない定義が山ほど出てくるんですね。たとえばこの最初の式。

 

この式を出したのはボルツマン(Boltzman)が多分最初くらいだと思うんですが、文献とか人によってはこの式はエントロピーじゃないといっている人もいます。何でかっていうと、これは一体問題の式だから、という意見です。fΓ1)というのは1粒子の気体分子のエネルギーの分布関数です。ボルツマンはそもそもボルツマン方程式という一体問題の運動を詳細に運動論で研究して、その過程で、あの熱力学第2法則のようなことを考えるためにこのH関数を定義しました。Hというのはf log f の期待値ですが、これが単調減少するといいました。でもボルツマンの最初の式って、この一体問題の式だから、物理系として1つの系をみたときに、多体でそれが本当に全体の正しいエントロピーかどうか、っていうのはよくわからないですね。その後で、ボルツマンは正しい

 

 

という有名な式を出してます。僕の共同研究者からもらったボルツマンのお墓の写真をみると、お墓にはこの有名な式が刻まれています」

 

お墓の写真に見とれる聴衆。

 

Wというのは状態の数ですね。ミクロな立場の統計力学での、Wという勘定できる状態の数から、熱力学でいうエントロピーと対応関係があるんだ、というのを最初に出したのがボルツマンです」

 

みな、熱力学的なエントロピーと、統計力学的なエントロピーの式が等しい、という学部の頃に習ったことを思い出し、うなずいている。

 

「ギブス(Gibbs)も似たようなことをいってるんですが、多体系になっています。ボルツマンのもともとの話は、いわゆるミクロカノニカルアンサンブル、つまり、全エネルギーと体積と粒子数が保存しているときにWが勘定できて、それからSが定義できるっていうのをやったんですが、ギブスはもうちょっと一般的に、考えてる系の全体の分布関数を用いました。

 

つまり積分のこの引数はアボガドロ数個あって、これはエントロピーだと最初にいったのはギブスです。で、これはアンサンブルとは関係なくいつでも統計力学的に正しいので、ギブスがまあ一番最初に導入したということになります。1902年と書きましたが、これはギブスの教科書の出版年代で、一方ギブスがどの論文でいってるのか探したんですがわかりませんでした。このなかでもしご存知の人がいたら教えてください」

 

そこで聴衆から質問が入った。

 

「教科書で新しいことをいったっていう可能性もあるんですか?」

 

「あるかもしれないんですが、ちょっとそこは私にはわからなくって。ギブス論文選集とか洋書の古書とかもってるんですけど、そこにはこんな話は全然書いてなくて。1902年のは、有名な教科書ですね。いま、プロジェクト・グーテンベルクでpublic domainになってるんで、丸ごとダウンロードできます1)。TeXで製版し直されていて、すごく読みやすくなっています」

 

それを聞いて、メモする人もちらほら。

 

「その後にフォン・ノイマン(von Neumann)が、量子力学で

っていう話を出しています。これは最近の統計力学物理の発展では関係があるんですが、フォン・ノイマンの1929年の論文ってたぶんドイツ語で書かれてるんですけど、ずーっと忘れられてたんです。ノイマンは量子系が純粋状態でも熱平衡に緩和する、ということを議論してて、それがずーっと忘れられていました。2010年に発掘されて英訳されたのが、プレプリントサーバに上がって、知られるようになりました2)

最近の統計力学のトピックの1つで『純粋状態でどうやって熱平衡に緩和するか?』という問題があります。波動関数を1個だけもってきたときに、それが時間発展して熱平衡状態になって、ということを議論するんですが、じつはフォン・ノイマンが見つけてやってた、っていう感じ。このとき、フォン・ノイマンは対応するエントロピーを2つぐらい出していまして、問題ごとにどのエントロピーを考えるべきかという論文が3つくらい出ているんです。そういうところにもじつはエントロピーの定義の多様性というのがみえてしまっていますね」

 

ふぅむ、エントロピーって一言でいっても、いろんな定義や見方があるんやな、そりゃなかなか感覚的にはとっつきにくいはずやわ、という感想が心をよぎる。

 

しかし、湯川さんはそこに畳み掛けて、

 

「ところがまだエントロピーっていうのはありましてね」と笑いながら、「公理論的エントロピー」の説明を始めた。

 

たまらず、「それってどんなことで役に立つんですか?」という禁断の問いを僕は発してしまった。

湯川さんはニコリと笑顔で
「それがねぇ、いろいろと使われているようなんですよ」と答える。

 

その後、議論は熱力学第2法則、シャノン(Shannon)の情報論的エントロピー、そして情報熱力学へとつながった。適切に物理系の情報量を知るには、適切なエントロピーの定義と使用法が必要なようである。

 

そこで「ゆらぎの定理」が言及されるに及んで、僕は、隣りに座っている豊田さんにこっそり話した。

 

「次の『しゅんぽじおん』のテーマは『ゆらぎ』ですな」

 

湯川さんの1時間に及ぶ議論が、ワインを注ぎながら行われて、「エントロピーって結局何だろう?」の言葉が会場のあちこちで聞こえる。

そこに立ち上がったのが、今日2人目の講演者、化学者の中野元裕さんであった。

 

 

化学者の「エントロピー」

 

 

 

登壇者:中野元裕氏

 

 

 

 

化学者、中野元裕さん
「エントロピーって、簡単ですよ。測れるんですもん」

 

「こんにちは、構造熱科学研究センターからやってきました中野と申します。構造熱科学研究センターというのは、じつは38年前に創立された研究室でして、一番最初、僕が学生で配属された頃には化学熱学実験施設っていう名前でした。そのファウンダーが関集三先生で、湯川先生は最新の話題をされてましたけれども、僕はこの創立者の関先生の時代にわかった昔話をさせていただこうかと思います(笑)」

 

中野さんのひょうひょうとしたしゃべりに引き込まれそうになった。エントロピーの長い歴史は、化学の測定の昔話でわかってしまうのか、と皆、耳をそばだてる。

 

「まず、熱容量っていうのは、化学のほうでのいい方で、物理の人たちはたいがい『比熱』っていいます。化学の人たちが比熱っていいたがらないのは、なんでかっていうと、比熱は熱じゃないじゃんっていう理由でして(笑)」

 

たしかに、比熱は熱の種類とはちゃうやんなぁ、と会場の人たちもうなずいている。

 

「熱って何かっていうと、ある場所にあったエネルギーが別の場所へ移動したときに、移動した差分のことですよね。熱容量っていうのは、ある物質がもともともってる物性値で、熱の移動とかなんとか関係なしにもともとあるものなんです。で、熱じゃないのに、比熱っていうのは気持ち悪いな、っていうことで化学の人たちは『熱容量』っていういい方を使います」

 

こんなところにも、分野の常識の違いが現れるんやね。

 

「で、実際に熱容量を測っちゃうと、エントロピーを実測できるんです!エントロピーは実験的に決定できる、ということです。今日は、湯川先生が式がいっぱいの解説をされましたが、僕の話はそれが測定ですぐみえるという話で……」  

 

一同爆笑してしまった。湯川さんのさまざまなエントロピーの定義は、何だったんだろう?頭のなかがモヤモヤしつつも、中野さんの話にみるみる引き込まれてしまう。

 

「『エントロピー』ってこんなんか、っていうのが感覚的にわかってもらえればいいかなって思ってます。実生活上でのエントロピーをみてもらおうと思います」

 

会場から「おおっ」という声が上がる。「実生活上のエントロピー」って、魅力的な言葉や……。

 

「では、エントロピーの測り方を説明します。これは僕が4年生のときに使っていた熱量計です〈図2〉。断熱型という種類の熱量計で、原理は簡単です。熱の出入りがない状態でヒーターであるエネルギーを与えてやったときに、何度温度が上がったのかがわかれば、熱容量を計算することができる。そういうものすごい単純な理屈からできてます」


〈図2〉熱量計の構造図

「ここにぶら下がってますバケツのなかに熱容量を測りたいものを入れてやります。このバケツは、ヒーターと温度計のユニットにくっついているんですけど、そのユニットごと中空にナイロンテグスでぶら下げられてます。で、ここのヒーターでエネルギーを加えて温度計で温度の変化を読みとるわけです。そのときに熱の出入りがないようにするにはどうすればいいかということですが、熱が伝達するメカニズムとしては対流と伝導と放射があります。対流を遮断するには、まわりを真空に引いておけばいい。伝導っていうのは、十分に注意してリード線なんかを温度コントロールして温度差ができないようにしてやれば、ほぼ除くことができる。

あと、厄介なのは輻射なんですけれど、まわりに容器をつくって、容器の壁をバケツの壁と同じ温度にしてやれば、実質的に放射ではエネルギーを失わないということで遮断できます。外側の壁にヒーター巻いて、温度コントロールで『断熱制御』するんです。そうすると、電流で加えたジュール熱Qと温度変化ΔTが読みとれますから、 熱容量Cpは加えたエネルギーを温度差で割り算したもの、

 

 

というかたちで簡単に測れちゃうんです」

 

一同、静まり返った。反論なし(笑)。

 

「で、熱容量をずうーっと温度を変えながら測って、logTという横軸で、積分してやったのがエントロピーです。

 

 

ですから熱容量を1点1点下からずーっと計っていくと、簡単にエントロピーって測定できちゃうわけですよ。で、えっとこういう測定法で、『エントロピーってこれや』っていうたら終わりじゃないですか(笑)」

終わってしまった。みな顔を見合わせながら、ニヤニヤしている。

「昔から僕、本当にこれで計れてるのかなあ、これでいいのかなぁって思ってたんですけど、ちゃんと計れちゃうんですよねー。それをお見せしましょう」

中野さんはスライド〈図3〉を見せた。

〈図3〉 中野さんのスライド「エントロピーと微視的状態数」
文献3より。antiferromagnetic exchange interactionは、反強磁性交換相互作用。

「われわれの学生だった時代には大量のサンプルが必要で、このバケツの容積が14cm3、サンプルが10gとか欲しかったんですね。だけど、いまは単結晶1個ね。ミリグラム、マイクログラム、っていうサンプルがあれば熱容量が計れる時代になってきました。非常にいい時代です。で、これは僕が4年生のときに計った熱容量です。僕は化学の人なのでちょっと化学っぽい物質を使いましたけれども、『クロムの3核錯体』といって、クロム金属イオンが1つの分子のなかに3個ほぼ正三角形に近いようなかたちで入ってる分子です。

クロムのイオンの上には電子が3個あって、スピン3/2をもってます。真ん中の酸素イオンで架け橋されてると、スピンのベクトルがどっちを向いたほうが居心地がいいっていうのが、変化します。交換相互作用っていいます。その結果、スピンのエネルギー準位がばらけてくるという現象が起こります。スピン準位がどんなふうにばらけてくるかということを、スライドの右に模式的に書いてます。まず(I)、スピンとスピンのあいだの相互作用が正三角形のとき、対称性が高いから、あんまりばらけません。それがね、(II)でちょっとゆがんで二等辺三角形になるとバラバラってもっと割れてきます。今度は(III)、2つの分子に相互作用が起こってしまいますと、割れます。これを、先ほど湯川さんにお見せいただいた統計力学の式にポッと入れてやったら、熱容量が計算できます。このグラフの実線が、計算結果ですね。んで、グラフのなかでポチポチポチって打ってあるのが、実測データです。みていただくとわかると思いますけど、正三角形になるよって割れた部分、それから二等辺三角形になって割れた部分、それから、最後の2つの分子間の相互作用で割れちゃった部分というのが全部、きれいにみえてきて、こんなかたちで熱容量がパーンと合っちゃいます。横軸は温度のlogなので、このグラフの上の面積がそのままエントロピーになってるんです。湯川さんの話のなかの、一番わかりやすいエントロピーですね、出ちゃいました」

会場は爆笑に包まれた。

「で、(III)のところの面積を積分で求めてやると、R log 2 っていう値が出てきます。これは何でしょうか。じつは、エネルギー準位が2つに分裂してる。熱エネルギーが大きくなってきたときに、そのエネルギー準位が区別がつかなくなって、縮重しているってみえているときに、そのときもっているエントロピーがR log 2だよ、微視的状態数が2になったんだよということがそのまま実測のエントロピーとしてみえているわけです。(II)のところまでを同じように積分するとR log 12に一致します。最後の(I)まで積分すれば、スピン3/2の4準位が3つあるってことで43で64準位ありますから、R log 64になって、実験と一致します。なんかね、理論と合っちゃう!」

会場の盛り上がりが最高潮に達したとき、聴衆のなかに座っていた湯川さんが口を挟んだ。

「じゃあ、T=0でのエントロピーがゼロだという、原点を決める問題は、実験ではどう決めるんですか」

中野さんは優しい声で厳しく答える。

「気体の状態のエントロピーは、ザッカー-テトローデ(Sackur-Tetrode)の式というのがあって、わかってるんですね。それで、気体の状態から温度が一番下に下がるまで、ぜーんぶ熱容量を測ります。実験で上から温度を下げていくときに潜熱とか全部測って、わかっているエントロピーの値から引いていってやると、温度ゼロではエントロピーがゼロ、って測れることになるんですね」

おお、わかるんや……。

その後、ガラスの転移でエントロピーが測れる話など、中野さんはいろいろなおもしろい実験例を教えてくれた。

でも聴衆はまず、エントロピーが美しく実験で測定できているという事実を大変楽しんだようで、その後の例の詳細は、ワインを飲んだ僕には記憶が薄れてしまった。『しゅんぽじおん』ではいつものことである。ワインとチーズが入っているのだから。

ただ「エントロピー」という深遠そうな話題も、理学の饗宴の舞台に乗ってしまえば、こんなふうに「美味しく」料理されてしまうのか、ということについては、参加者一同の共通の感想なのでは、と思う。次回はもっと難しい言葉をテーマにしてみるのもよいかも? 

「エンタルピーでいこか?!」の声は、無視されたらしい。

参考文献

1) J. W. Gibbs: Elementary Principles in Statistical Mechanics (Charles Scribner’s Son’s, 1902);
プロジェクト・グーテンベルクのページはこちら:http://www.gutenberg.org/ebooks/50992.

2) J. von Neumann: Z. Phys. 57, 30(1929); R.Tumulka(trans.): Eur. Phys. J. H 35, 201(2010); arXiv:1003.2133(2010).

3) M. Nakano et al.: J. Phys. Chem. Solids 49,987(1988)

 

 

 

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛、フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ
Vol.33 No.22 2018-02

 

 

2017年9月29日午後5時半、大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に、議論好きの科学者が、ぞろぞろと集まってきた。

理学の饗宴『しゅんぽじおん』である。その案内文には、こうある。

 

「研究科内外の研究者(教職員や大学院生のみなさん)、産業界の方々の研究交流を促すため、分野を超えた広い視野に立って新しい理学のタネを生み出すイベントです。ワインとチーズが振舞われる予定です。登録の必要はありませんので、金曜の夕刻、1時間程度、お気軽にお越しください」。  

 

まあ、一言でいえば、お酒で交流しながら理学のあらゆる分野の講演を聴いて、新しい研究のタネを生み出そうや!というイベントである。

 

早くも第3回を迎えたが、第1回「時間とは?」、 第2回「カオスとは?」に引き続き、第3回、ついに「生命とは?」のお題。

自分の研究を詳細に話してもらうのではなく、自分の科学観に基づいて、いただいたお題について議論のネタを提供する、そんなことがスピーカーには要求されてしまうのである。

「生命」といえば、理学部のなかでも生物学専攻の教員が登壇するのが当然であろう。しかし、それではおもしろくない。そこで、今回の講演者は、化学専攻、そして宇宙地球科学専攻のそれぞれから、1人ずつお願いすることになった。

 

はたして、化学や宇宙の研究者が考える「生命」とは、いったい?!  

 

会場には、若い大学院生の姿も多くみえる。細分化された理学のなかで、 壁を越えた先をみようという、

血気盛んな学生たち。頼もしい限りである。

 

 

 

 

化学者にとっての「生命」

 

登壇者:梶原康宏氏

 

化学者、梶原康宏さん

 

「梶原です。まあ今日はどうも録音もされてるし、冊子にもなると急にびびらされてしまって、10年くらい前に阪大に公募で来てですね、教授がウワーっと座ってその前でなんかしゃべって、ここでやっていけんのかな、って思ってたのを思い出してしまいました。もう皆さんお酒飲んでるからタチが悪くなるんではないかと今日は思っております」

 

(会場は爆笑)

 

 

「生命とは?僕、もともと有機化学なんで、できるだけ化学的な視点で眺めてみようかと思います。生命とは?って考えると、世のなかにはそれについて書いた有名な本があります。たとえば」 

 

そういって梶原さんは、ある岩波文庫1)の表紙を、一部分を隠してみせた。

 

「それって、シュレーディンガーの本?」 との聴衆からの声が上がる。

 

「そう、物理の人がここにおると思って、みせました。まあ有名な本です。それと、福岡伸一先生の『生物と無生物の間』2)。出版時には一般にはこういう本がわかりやすかったでしょうね。つまり、生物は複製する、というのが定義である、ということです」 

 

会場からは「まあ、そうやろな」といううなずきがみえる。

 

「化学からみた生命の話をしましょう。 2002年に制限酵素の発見でノーベル賞をとったスミス先生(Hamilton O. Smith)が、 2008年に、ケミカルに1DNAをつくって、生命体をつくろうという研究を始めたサイエンスの論文があります。バクテリアの58万2970個のDNA塩基対を人工的につくって、論文に出したんですね。うわ。すごいな、と。これ、化学ですよね」

 

「で、とうとう 2010年には、それでできた遺伝子をバクテリアの殻の中に入れたら、 DNAの複製が始まった3)。つまりCHEMISTRYで、生命体ができたっていうその最初のきっかけになったんですよ。だから、『化学で生命は語れるであろう』という発端になった論文なんですよね」

 

なるほど、化学者は、まず生命の根本である遺伝子を化学的に合成し操作することで、生命を理解しようとするのか。会場にはさまざまな分野の研究者が集まっていたが、自分の生命観との違いからか、もしくは化学による理解の進展への驚きからか、ざわざわとした雰囲気になった。

 

梶原さんはその雰囲気を察したのか、

 

「で、本当に理解できるか?っていうとまあ結論からいうとまあそんなに簡単ではないと、いうことです」

 

「遺伝子を化学で合成するだけではない、っちゅう話になるんですね?」と会場からの質問に、梶原さんは笑って 「そうです、そうです」と答えた。

 

「で、さっき冒頭でもお話ししたように、DNAで全部ヒトの設計図が描いてある、まあそれは間違いないんですけど、これ、そう単純じゃないわけですね。2004年にヒトのDNAが全部解読されて、まあ製薬会社もみんなこれが全部わかれば病気の原因も全部わかるからもうそれでバッチリだと思ったんですけど、そうは問屋がおろさなくて、この後いろいろDNAやできたタンパク質に飾りがついてさまざまな機能が発現していくということがわかったんですね。で、まあそういうことで、じつは生命は非常に複雑でDNAだけでは語れないということがわかってきた」 

 

梶原さんは懐かしい写真をとり出してきた。

 


昔懐かしいOHP用のスライド「トラペ」

 

「これ、何かおわかりになりますでしょうか。むかーしの人はわかりますよね。 OHPの資料が自分の引き出しのなかで束になってたんでもってきました。昔はこれでプレゼンしてたんですね。パワーポイントがないからこうやっていたんですね。こう、束にしておくとゴチャゴチャでわかんなくなって、あー、どのスライドだったかな?と探したりした懐かしい思い出があるんじゃないかと思います。たしかに、重ねてみるとわからない。でも、 1枚パッと引き出してみるとじつは、シンプルな化学反応の図が描いてあるんですよ。 1枚1枚とってもシンプルで、じつは生命体というのは、こういった非常に単純な化学反応が複雑に積み重なっていって突如、生命体になっているに違いないというのがまあわれわれ、化学者の考え方ですね」 

 

不肖僕も、学生のときには透明なOHPシートにマジックペンでセカセカと書いていたのを思い出した。ただし、こんなに汚くはまとめてへんかったけど (自負)。

 

しかし梶原さんの例は非常によくわかった。そしてその語りは続く。

 

「で、やはり生命体が複雑な理由を説明するのにわかりやすい例は、一卵性双生児なんですよね。たぶん、生まれて小ちゃい頃は、よく似てたんだと思うんだけど、だんだんこう、成長していくに従って、顔もお互い変わってくるんです。何が違うのかっていうとね、設計図は60兆個の細胞のなかにある DNA全部一緒で、何も変わらないはずなんですよ。でも、一番似てるはずの一卵性双生児のDNAにみられるように成長とともに何かが変わる。その発端を見いだしたのはガードン先生(J. B. Gurdon)で、 2012年に山中先生と一緒にノーベル賞とった人です。山中先生は、IPSで有名ですよね、で、その一方で、そのガードン先生のことは日本では、あんまり盛り上がりませんでしたよね。じつは、ガードン先生の実験が有名なんですよ」 

 

会場から「おぉー」という声。

 

 

「この人が、ノーベル賞の発端をつくった。カエルの卵をとってきて細胞の核を抜き、オタマジャクシの皮膚からとった細胞の核を、入れたんです。つまり成熟して皮膚になっちゃってる細胞のDNAを受精していない卵子の核と入れ替えて、受精させたんです。そしたら、オタマジャクシができてカエルになった。という実験を最初にやった人なんです。これは、何を意味しているかというと、 DNAのリプログラミングが起こったっていう証明になったんです」

 

リプログラミング、これ、梶原さんの話のキーワードになりそうだ。

 

「リプログラミングとは何か?卵子と精子が受精するまでは、それぞれ半分の染色体をもっていて、それ全部にじつは、まあある修飾が施されている。大人になっていくための、皮膚になれ、あるいは骨になれ、心臓になれ、肝臓になれ、まあ、歯になれ、そういう修飾、目印が入っているんだけど、その目印が、受精するときには、パッと消えるんですね。それをリプログラミングというわけです」

 

「ガードンさんの実験で証明されたということですか?」

 

「そうです。なんでそれが大事かっていう話をしましょう」 

 

梶原さんはスライド〈図1a〉をみせた。

 

〈図1〉梶原さんのスライド
(a)DNAの構造、(b)DNAのメチル化。

 

「DNAの構造をみてみましょう。染色体を全部バーっとひもといていくと、クロマチンというタンパクにDNAが巻きつけられてる。それをさらに解いていくと、DNAの2重らせんがみえてくる。つまりわれわれの細胞のなかでは、DNAはこういうかたちでいるんですね。そこでだんだんメチル化されていく。メチル基ってじつは非常にシンプルな化学構造をしています。

DNAは4種類の化合物でつくられているんですね。デオキシアデノシンとか4つあってそれぞれA、 T、C、Gというふうに文字でいわれているわけです。問題となるのはそのメチル化は、塩基の5位の位置に起きます。この〈図1b〉の右下に書いたように炭素1個、水素3個、という非常に小さなものがつくだけで、一卵性双生児のような顔の変化が起こってくるということになるわけです。生命というのは、DNAだけで決まっているわけじゃない。そこにメチル化があって、コントロールされているんです」

 

僕は梶原さんの話においてけぼりを食ったので、正直に「ちょっとわかんなかったです」と質問してみた。

会場は笑いに包まれたが、聞くは一時の恥である。

 

「メチル化っていうのは、1人の人間でもDNAの違う場所に発生するんです?」

 

「そう、細胞によって、メチル化の場所が違うから、骨になったり皮膚になったり、いろんなものに分化するんですよ。こんな例で説明しましょうか。ロミオとジュリエットの話で“O Romeo, Romeo wherefore art thou Romeo?” (ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?)という原作がありますよね。劇場で上演されるときには、このセリフが脚色されて、いろいろ変わってくるわけです。「ロミオ」を2回ではなく3回いったり、ね。それによって、劇のイメージが変わるわけですよ。一卵性双生児みたいにね。で、リプログラミングって、大もとの文章にもどるような感じですよね。この例で伝わりました?」

 

 

 

「なるほど、文章をDNAと考えると、わかりやすいですね。単語を落とした りすると意味が変わるわけやから」

 

「そう。それに、劇的な変化も起こってしまうことがあるんです。たとえばこの文章のなかの“art”のところに“f”がついて、 “fart”になったとしましょう。そしたら、『おなら』って意味になっちゃうんですよ(引用: N. Carey, The Epigenetics Revolution, Columbia Univ. Press;中山潤一訳『エピジェネティクス革命』丸善出版)」

 

見事な説明に、会場は爆笑。これで、リプログラミングの重要性が誰もの心にしみわたったようである。

 

そして、梶原さんは、いままで話したメチル化をはじめとする化学反応は、酵素というタンパク質がものすごい高速で働いて起こっているということを話した。 1秒間に10万回以上反応を起こすことができるそうだ。この酵素は、何やら遷移状態という反応が起こる瞬間の分子のかたちを維持することができるようだ。

 

「化学者には、この遷移状態の環境をガラス容器のなかで簡単につくれないので、生命システムに勝てないのだ」と梶原さん。

 

「DNAが生命体の道具である酵素をつくる指示を出し、そして3000種類ともいわれる酵素が、1つ1つ反応を間違えないように行い、それが複雑に絡み合って生命体になっているんです」

 

ふむ、生命の複雑さを一番よく理解しているのは、梶原さんのような化学者なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

宇宙物理学者の「生命」

 

登壇者:松尾太郎氏

 

宇宙物理学者、松尾さん

 

つぎに登場したのは、宇宙地球科学専攻の松尾太郎さん。

若手バリバリの宇宙生命の研究者は、「生命」をどんなふうに見ているんだろう。聴衆の僕らは、宇宙における生命探査がどんなに進んでいるかをこの後聞くことになるとは、まったく想像もしていなかった。

 

 

 

「10年前に私が学生の頃、『宇宙生命』とかいったらもう、頭がおかしい人みたいにみられましたね。でもいまは、もう、それが本当に天文学の中心になってます」

 

発展が著しい分野の先端のところを聞けるのは本当に嬉しいことである。

 

「で、まっ、簡単に自己紹介なんですけど、私は生命探査を本当にめざして10年間やってきてまして、とにかく独創的なアイデアを出さないと日本はたぶん勝てないというところであるので、そういう実験とか機械開発を中心にやってます!NASAが計画中の2020年に決まる宇宙望遠鏡のなかの1つのプロジェクトで生命の発見をめざしています。で、来年に NASAのエイムズ研究所に私のプロジェクトである宇宙生命探査装置が立ち上がります!なんで、いますごいワクワクしてると同時にですね、昨日寝てなくて、いまあの、やばい状態なんですが(笑)」 

 

松尾さんの飛ばしっぷりに、聴衆の皆さんの目が輝く。

 

「いま、宇宙生命という探査の観点から、宇宙における生命とはどういうふうにみえてくるのかっていうのを、お話ししたいなと思っています。で、まず、宇宙生命を探す意義を3つ、みていきましょう。

第1に、われわれは天文学からスタートしてますが、天文学っていうのは考古学なんですね。 137億年っていう宇宙が始まってからの歴史をみるので、その歴史のなかで、生命を探すのは歴史の最後の出口の部分をみるっていうことです。

で、第2には、生命の誕生と多様性を探る方法としての意義です。これまではおもに、顕微鏡で生命の誕生をみているわけです。 昨日ちょうど、Natureの雑誌をみてたらですね、日本の先生がいままでグリーンランドで発見されていた38億年前の生命の痕跡よりさらに1.5億年前以上の生命が発見された、という論文4)が出てました」

 

松尾さんはスライドでそのNatureの論文の写真をみせた。

黒いつぶつぶのようなものが写真にみえる。皆、首をかしげて、「えぇぇ、これで生命が発見されたっていうんですか?」

 

松尾さんは笑いながら、

「えっとですね、13Cと12Cの2種類の炭素をみたときに、生物は基本的に12Cを好むので、それがより濃縮している岩が見つかると、その炭素、生物がいる兆候の1つの指針と考えられるわけです。それがカナダで発見されたということのようです」

 

「すいません、それは化石なんですか?この黒いつぶつぶのかたちが生命のかたちだと思ってもいいんですか?」

 

そんな聴衆からの厳しい質問に答えたのは、聴衆のなかの太陽系年代学にくわしい先生だった。

 

「あれ自身は炭化物。中の炭素の同位体の比率がちょっと違うってことなんですよね」

 

ほほぅ、という声が上がった。松尾さんの話は徐々にポイントに近づいてきた。

 

「で、こういう顕微鏡から天体望遠鏡に行こうとしているわけです。また別の角度からの生命探査ができるだろうと期待してます。そこで、第3の意義として、しかも最近一番とくに動きがあるのは、『宇宙で私たちは本当に1つなのか?あるいはもっと生命がありふれているのか?』ってことです。宇宙で私たちは孤独なのか?これが、私の研究の強い動機になっています」

 

そうか、宇宙の研究者は、生命を宇宙で実際に探してやろう、「生命とは」っていう科学はそこからやないか、という、まさに科学者の立場なんやな、僕はそう思った。

 

松尾さんは、宇宙生命を探す方法を紹介し始めた。

 

「宇宙生命を探したいと思ったとき、3つの方法がありますね。第1に、太陽系内で探す。第2に、知的生命(宇宙人)を探す。第3に、遠くの惑星で生命を探す。今日の私のテーマは、第3のものです。その前に、まず第1をみてみましょう。つまり、地球がいかに特異であるか?ってことですね。まず、宇宙生命を探そうと思ったら、近くから探しますね。火星から始まって。たとえば、土星にエンケラドスという衛星があって氷に覆われてるんですけども、エンケラドスの近くまでカッシーニ衛星が飛んでいって、太陽光がエンケラドスの表面あたりで吸収される様子が撮影されたんです。われわれ、これを水柱とよんでいて、氷の下に海があって、周期的に氷が割れたり閉じたりして海から水柱をつくっているんです。最近では、エウロパっていう土星の衛星も同じように、ハッブル宇宙望遠鏡で水柱を検出しています。われわれもそういうのをめざして最近、すばる望遠鏡でとらえようとしています」

 

 

「で、第2の点をみてみましょう。宇宙人はいるのか?みなさん、SETI(search for extra-terrestrial intelligence)って聞いたことあるでしょう。ETを探すプロジェクトです。一番わかりやすい例ですが、特殊な電波を地球から発信して、特殊な電波を返してくれるはずだから、そういう電波を探そう、というものです。実際『ワオ!シグナル』っていう、それっぽい電波信号を受信したことがあるんですけど、ただそれが本当に知的生命なのかどうかっていうのは、まだわかっていません」

 

宇宙人の話になり、会場は一気に盛り上がり始めた。

 

「たしかスクリーンセーバーみたいにパソコンにインストールして全世界でやったよね」

 

「見つかったんやっけ?」

 

「どないしたら見つかったって決まるんやろ」

 

「ラジオみたいなん聞こえたらオッケーとか?」

 

松尾さんがそこに割って入り、

 

「特異なシグナルは観測されてます。ただし、それがわれわれの知らないような未知の天体からかもしれない。γ 線バーストとよばれるような高エネルギー天体がこういうことを起こす可能性はあって、そことの区別がつかないというのもあります」

 

「オバマは予算を継続したけど、トランプはどうしました?(笑)」

 

「それは、わかんないです(笑)。あ、でも、中国が結構そういう予算をかけていますね。ただ私の話はそっち方向じゃなくて(笑)、第3の方針、遠くの惑星で生命を探す、ってものです」

 

松尾さんは宇宙人談義を打ち切り、次のスライドを見せた。〈図2〉

 

〈図2〉松尾さんのスライド「惑星系の描像の変化」

 

 

「1995年以前は、私たちの太陽系しか知らなかったんですよね。太陽からの距離と質量のグラフです。これが、この20年で、いま、2700の惑星系で、惑星が3600個も見つかっているわけです。つまり、大変期待がもてる状況になっているんです。それに、ケプラー衛星というのが、惑星のサイズを正確に測ることができる。その統計によると、太陽近傍の恒星のうちの3割は、地球サイズの惑星をもっていることが判明したんです」

 

系外惑星の観測結果はそこまで進んでいるのか、と驚かざるを得なかった。

 

「2017年には、太陽から30光年先の恒星系で、7個の地球サイズの惑星が公転していて、3個は液体の水をもつ可能性があるというものが発見されました。これをトラピスト1(Trappist-1)とよんでいます〈図3〉。つまり、ようやく今年(2017年)、地球の近傍で生命を宿す可能性のある惑星が発見されました。ただし惑星の物理量、つまり半径や質量、主星からの距離、のみが推定されています。そういう惑星に対して、今後観測を詳細に行うことで生命が存在するかどうかを探っていく、そういう重要な時期にさしかかっています。

では、皆さんに問いかけをしたいのですが、宇宙のなかで、ほかの惑星上に生命を探すなら、何を探したらいいでしょうか?」

 

〈図3〉松尾さんのスライド「トラピスト1の惑星系」

 

僕の頭のなかは宇宙人モードで止まっていたので、いったんそれを白紙にもどし、考え始めた。まわりの聴衆も、「隕石かな」「もっと遠くの観測かな」などと相談している。松尾さんは、総括した。

 

「宇宙のなかで、地球が特異な点は何でしょうか? 私は、生物由来の酸素であるオゾンの存在、そして酸化と還元物質の非平衡状態にある大気、これらのスペクトル観測が決定的なのではと考え、NASAの大型計画でトランジット惑星のための分光装置を立案しているんです」

 

現在、太陽系外惑星の生命探査として、2020年に決まる4つの大型計画候補があるとのことだ。その望遠鏡が実際に動きだし、観測が開始されたとき、僕たちは宇宙に生命のたしかな痕跡を見つけだせるんだろうか。

 

 

松尾さんの講演の後も、松尾さんと梶原さんをとり囲んで、質問と議論が続いた。

 

ワインの時間にもかかわらず厳しい質問をされ、頭をかく松尾さん

 

 

「生命とは?」というテーマは、これまでもさまざまな科学者が挑んできたテーマに違いない。理学の饗宴『しゅんぽじおん』に参加する研究者や大学院生は、自分なりの科学観をもって来ているようだ。新しい科学の成果や、他分野の考え方を知り、自分の科学観を試すよい機会になっている。次回も、専門が楽しくぶつかり合う様子が堪能される会になるに違いない。

 

『しゅんぽじおん』は、徐々に解散するしくみである。

ワインも尽きた会場に最後までしぶとく残っていた6人は、梶原さんの

「あ?あ!このアイデア、いけるかもしれない!いけるかも!!」

という叫びを聞いた。

 

あの叫びがどうなったのか、次回の会場で梶原さんに聞いてみよう。

 

 

参考文献

1) シュレーディンガー:『生命とは何か―物理的にみた生細胞』(岩波書店、2008)

2) 福岡伸一:『生物と無生物のあいだ』(講談社、,2007)

3) H. O. Smith et al.: Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome, Science 329, 52(2010).

4) T. Tashiro et al.: Early trace of life from 3.95 Gasedimentary rocks in Labrador, Canada Nature 549, 516(2017).

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた、科学者が集まり、議論をしかけ、話を膨らませ、『知への愛,フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。

 

 

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.32 No.10 2017-10

 

 

2017年7月11日午後 5時半、大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に、議論好きの科学者が、再び、ぞろぞろと集まってきた。第1回『しゅんぽじおん』のおもしろさに味をしめた者たちだけではなく、新たに参戦する科学者たちも。これは、その実録である。

 

 

 

数学者が説く「カオスとは」

登壇者:盛田健彦氏

 

「私、コンピューター昔から苦手でね、カオスっていう分野を昔から研究しているにもかかわらず、コンピューターを使ったことがない」 

 

爆笑を誘いながら話を始めた盛田健彦さんは、大阪大学の数学者である。

 

数学者、盛田健彦さん

 

「若い人たちにいいたいのは、まず、苦手なものをもちましょう、とことん苦手でいけば、研究が開けるということです」

 

この言葉の真の意味を、後で知ることになるとは、この時点で誰も予想を していなかったはずだ。

 

「カオスっていうのは、ギリシャ神話の初めの神様の名前ですね。何もないところから、何かが出てくる、それがカオス」

 

盛田さんはホワイトボードに、カオスとは、についておもむろに書き始めた。

盛田さんがホワイトボードに残した、なぞの言葉

 

 

「カオスは、出口?入口?カオスは、始まり?終わり?直感的にいったら、始まりなんやけど、私の気持ちとしては、すべてのものはカオスで始まるんですよ。そして最後に、カオスに飲み込まれてなくなるんですよ。いいですか?」

 

一同、あぜんとして、盛田さんを見つめる。

 

「私が大学に入ったとき、山口昌哉先生のカオスの話を初めて聞いたんですよ。それから、力学系とか、エルゴード理論とか、そんなのをやってきました。当時の研究会では、いろんなカオスの話がありましたね。で、いまでも思い出すのは『BZ反応*1』。そう、こないだ、ニュースがありましたよね。水戸の高校生が、BZ反応が途中で終わったと思ってたら、しばらくたって、また始まった、って発見したんですよ」 

 

あー、ありましたねぇ、という声が会場に流れる。

 

「で、僕は数学者でしょ。数学者がそのニュースを聞いたとき、『あれ,何でいままでそんなこと誰もやらんかったんや?』っていう反応でしたよ。つまり、計算機で長い時間走らせたら、わかることですよね。でもじつは、昔は遅いパソコン使って計算してましたから、やらんかったんかもな、と。まあ、僕はコンピューター使いませんから、そういう見方です。昔からみんな、コンピューター使ってましたからね。僕は『リミット n→∞でがんばろう』と決めたんです」

 

なるほど、コンピューターを使わないというのは、真の無限大をとり扱うという意味だったのか。

 

「カオスの定義はじつは、本当は、ないんです。ある人は『無秩序』とよぶけど、そうではない。すべてのものを含んでいるから。カオスには 3つの条件があると考えてます。
第1に、シンプルで、何かあるぞと思わせるようなもの。人をひきつけるんだけど、やり始めるとたいへん、というやつね。たとえば、ローレンツアトラクター。あれだって、簡略化してああなっているわけです。いま思うと、気象なんて、どうしてあんな枠組みに乗るのか、不思議だなと思うわけです。簡略化していいものができると思ってやり始める、それが大事なんです。
2番目に、数値計算によって、時間発展の解が出てくるんやけど、うまくいかない。いっくらでも精度が必要になるんですね。まあ山口先生の言葉を使うと、『やっちゃいけないことをやりなさい』ですね」

 

会場が笑いに包まれる。

 

 

「想定外、ってやつですよ。ちょっと話がずれますけど、よく『ゼロで割っちゃいけない』っていいますよね。誰が割っちゃいけないっていいました? (笑)それは想定外なだけです。想定内にすればいいだけですよね。カオスの話に戻ると、想定外というのは、 『初期値鋭敏性』ってやつです。初めちょっとずれるだけで、時間がたつとすごくずれるんです。そういうもんやから、数値実験をくり返すと、誤差ではなくてダイナミクスの性質が効いてくるわけです。
で、 3番目の性質。ある状態を選んだとしましょう。別の状態から、時間発展をさせて、この状態にどれだけでも近づけることができる。英語ではtopological transitivityといいます。
この3つのことが成り立つとき、『カオスっぽいな,英語では “chaotic”』といいます」

 

会場から質問が挙がる。

 

「3番目のやつがなかったら、なんか悪いことあります?」

 

「悪いことはないと思うけど、人間、奇妙に思うことがあるでしょ。たとえば、デジャブとか。怖いでしょ。怖いものみたさで研究したくなるわけですよ」

 

「3番目のやつとデジャブとどう関係があるんですか?(笑)」

 

「デジャブっちゅうのはね、どっかでこの景色みたことあるな、似てるな、ってやつですよね。これは、ある状態の十分近傍に行くっていうことじゃないですか」

 

会場は「なあるほど」の声とともに笑いの渦に包まれた。

 

「3番目のはカオスじゃないっていうことじゃないんですか?秩序があるじゃないですか」

 

「そう、そう。カオスは、無秩序じゃないんです。秩序があるんですよ。大事なのは、カオスっぽいということを特徴づける指標が、計算方法が、必要やということです。同じところに戻ってくるというのは、質のいいランダムネスなんですよ。たとえばブラウン運動はランダムですよね。 3次元空間でブラウン運動すると、どっか行ってしまう。そうやなくて、有界な空間でランダムをやるのがおもしろい。ほぼ同じ状態に戻ってくるわけです」

 

「この宇宙は、どうですか?」

 

「それは、宇宙がどうなっているかにもよりますよね。たとえば、宇宙が2次元のトーラスやったとしましょう。あるところから出発して、まっすぐ、角度が2πの有理数倍ではない方向に直線運動したとしましょう。この運動は、稠密(ちゅうみつ)にトーラスを埋めつくすんです。そして、任意の点の近傍に、いつか必ず、何回でも到達するんです。そやから、自分が有界でない世界にいたとしても、ちょっと次元の見方を変えると、有界になったりするんですよ」

 

おもしろい例をおみせしましょうね、と盛田さんはいいながら、ホワイトボードに式を書き始めた。

 

 

「この式で、 0≦xn ≦1/2やったら『0』、 1/2<xn≦1やったら『1』、っていうルールで、 n番目の 0、1をどんどん生成していったとします。そしたら、世の中にあるあらゆる 0、1の列を再現できるんですよ。これ、テントマップのコーディングっていうんです。すべてのものが実現できてしまうんですよ。宇宙のすべてが実現されたら橋本先生は必要ないですよね」

 

突然、話を振られた私は思わず笑ってしまったが、後で思うと、否定しておくべきだった。時すでに遅し。

 

「しかも、与えられた数列がどこにあるかも計算できるんです。それが何回も現れるんですよ。デジャブですよ。つまり、これはさっきの『カオスっぽい』なんですね」

 

盛田さんのもち出されたシンプルな例は聴衆をうならせるのに十分だったようだ。

 

「僕が思うに、世界にはいろんな小さなカオスがいっぱいあって、そこから都合のいい部分、つまりあらゆる情報を含んでいそうな部分、をとり出せるような方法が、それが生物かもしれない。生物は、小さいカオスをつくりながら、それをとり出す。たとえば記憶なんていうのも、カオスをとり出しているという人もいますね。生物のカオスをとり出す能力を最大化しつつ生きているのが、われわれというものです」 

 

 

そうや、いや、そうやない、いや、そうや、と会場でいろんな意見がごった返すなか、大きな拍手で盛田さんの講演が終わった。

 

しかし、質問が相次ぐ。紀本さんが口火を切った。

 

「カオスの『形』を見つけるにはどうしたらええんですか」

 

「まあたいていの人は、コンピューターでやってみるんですね。でもコンピューターなくてもわかる数学者もいるんですよ」

 

「気象とかやと、初期値鋭敏性があるから、初めの状態についてアンサンブル平均とるわけですよね。そういうプロセスしかないんですか」

 

「エルゴード仮説でよく議論されましたけれど、全体的には安定なシステムであると仮定してやるわけですね。でも,どうしても小さくなりすぎると、実際の観測とか機械では限界がありますよね、数学的には限界はなくても。だから、平均化とか、そういうのは結局必要になるわけですね。カオスの性質をうまく利用して、情報をとり出すんです」

 

「ゆらぎの平均化は、プランク定数ですか?*2

 

「いろいろな試みがあると思いますね。量子的なカオスとか」

 

 思い切って、僕は尋ねてみた。

「入口とか出口とか、盛田さんの頭のなかではどうなってるか教えてもらえません?(笑)」

 

「出口か入口かはわかんないんですよ。どっちもどっち、とは思っていますけど、たとえば、可逆系のほうが非可逆系よりも難しい。始まりか終わりかも、わかんないね」

 

ますますなぞである。出口、入口、参加者の頭のなかにはいろんな絵が浮かんでいたことだろう。

 

 

*1 「ベロウソフ.ジャボチンスキー反応」のこと。ある種の化学反応で、振動現象が発生し、溶液の色がつぎつぎと移り変わる。カオス的なふるまいが観測される。

*2 測定のふるまいが一定値にならず、一定値のまわりをゆらいださまざまな値をとる場合、その原因として、量子的なゆらぎの可能性もある。量子論では、測定は確率的になるからである。もし量子論的なゆらぎなら、量子力学を特徴づける定数であるプランク定数が、ゆらぎの大きさを決めているはずである、という趣旨の発言。

 

 

 

生物学者の「カオス」

 

登壇者:藤本仰一氏

 

数学者の、まったくコンピューターも使わない講演の魅力にわれわれ聴衆は度肝を抜かれたが、カオスというものの本質を共有するには十分な時間だった。

もちろん、すでに全員がワインで酔っ払っているので,本当に理解しているのかはわれわれ自身にはわからないのかもしれないが。

 

 

盛田さんの講演のすぐ後、フルスペックのパソコンをとり出してきたのは、大阪大学で理論生物学研究室を主宰している藤本仰一さんだ。

 

生物学者、藤本仰一さん

 

カンパーイ、の挨拶から、藤本さんはいきなり,

 

「私はカオスに恩恵を受けて研究をしてきました。もっというと、研究人生そのものがカオスだ、と思っています」

 

(一同爆笑)

 

「人生がいかにカオスかという話がメインですので。まずは、 2重振り子っていう典型的なカオス現象があります。これは、さっき盛田さんがカオスっぽい、という言葉の 3つの性質をおっしゃっていましたが、 2番目の性質を簡単にみることができます。初期値鋭敏性ですね」

 

それを聞いて、私はすぐに質問してしまった。

 

「盛田さんの 3番目の性質はみえますか?」

 

「2重振り子の先端にLEDをつけると、運動の軌跡がみえるんですよ。それを録画してパターンを記憶させれば、みえるんじゃないですかね」

 

藤本さんの答えは、実際的な感じがする。本当にカオスの実験をいろいろとやってきたのだろうなと想像させられた。

 

「まず、カオスの歴史を振り返ってみましょう。旧約聖書の創世記の記述、そして荘子の内篇。湯川秀樹のエッセイにも使われています。物理と数学におけるカオスとはどんなものか、みてみましょうか」

 

藤本さんはスライドをみせた。

藤本さんのスライド「自然科学と工学に現れるカオス」

 

「ローレンツの方程式は、もともとはたくさんの変数があったんですが、最終的に3つの変数で、きれいなカオスが現れることを示したんですね。非周期的。実際に流体の実験でも、70年代頃から確かめられ始めました。水面の高さとか、そのフーリエスペクトルがピークをもたず、なだらかになってくる。そういうものが発見されたんです。

化学反応でも、さっき盛田さんの話で出てきたようなBZ反応にもカオスが発見されます。大きなスケールでみると、地磁気が反転する現象もカオス。黒が磁気が現在と同じ方向の時期で、白が逆の方向の時期です。岩石の磁性を測って、判明するわけですね。周期的ではないことがわかります。

振り子でも、強制振動を入れると、カオス的になる。これが、振り子の系での初めてのカオスでしょうね。あと,シャーレの中にマメゾウムシを入れて、世代を経て個体数をみると、グラフがガタガタする。ロジスティック方程式の離散化によって、モデル化できるわけですね。

こういったカオスで重要だったのは、『不規則性』ですね。たとえばローレンツは、論文の概要に『非周期的な解は小さな摂動を与えると不安定である』と書いています。それをきっちり証明したのがローレンツの業績ですね。これが盛田さんの第2の点です。それともう1つ重要なのは、完全にランダムではないということです。70~80年代の研究でわかってきたのは、何となく秩序があるということです。

たとえば、富田和久先生は、“ irregularity” (コヒーレントな不規則性)という観点からカオスの意義を唱えた。さらに、津田一郎と金子邦彦は、『複雑系のカオス的シナリオ』(1996)で、カオスは分析では理解できない何かを含んでいる。分析よりも『見る』ことにより、また『構成する』ことにより 理解されるものではないか、という考え方も唱えています」

 

 

突然、会場から質問が。

 

「みるのと分析と同じちゃいますか」

 

すると、ほかの声が上がった。

 

「人によって、みると違う感想がある でしょ。分析は、誰がやっても同じ」

 

藤本さんはそれを肯定して、

 

  「そうです、俯瞰(ふかん)してみたり、切りとってみたり、いろいろみれますよね。出たり入ったり、ガリバートンネルみたいな。そこが、カオスのおもしろいところでもありますね。僕はそういう、いろんな空間がどう組み合わさって、そしてそれを眺めたらどうみえるんだろう、そういう思いで、研究を始めました」

 

次のスライドに話を移した藤本さんは、いくつかの典型的な例を語り始めた。

 

藤本さんのスライド「流れに沿った乱れの増大と秩序の形成:移流不安定性」

 

 

「カルマン渦ってご存知ですよね。流れのなかに棒が立っていると、棒の後ろでは乱れが増幅するのだけれど、それが渦の秩序的形成を生んでいる。飛行機からもみえますね。物理的には、簡単な方程式でこのような現象をつくることができます。実世界でも知られていて、たとえば交通流。料金所から出てくる車の流れにはノイズが含まれている。で、車のダイナミクスは、前の車がブレーキを踏むかどうか、という簡単な原理で決まってくる。それで、 最終的に渋滞という現象が発生する」

 

紀本さんがボソッと、「寺田寅彦の世界ですな」と口を挟んだ。

会場にうなずく人が多い。

 

「あるいはですね、バイオロジーの系では、作用が 1方向に及ぶ化学反応をみると、似たような方程式が出てきて、ノイズの増幅が起こり、秩序的な構造が形成される。流れによるノイズの増幅が秩序を形成するんです」

 

「あのぅ、交通流の例で、秩序が形成されたというのは、何をもってそうわかるんですか」

 

「車の密度をみると、初めは均一だったのに、その均一さからゆらぎが、だんだんと不均一になって、渋滞が形成されるんですよ。その渋滞を秩序ってよぶわけです。もちろん、われわれ人間には、渋滞はイヤなもんではありますが、このコンテクストでは秩序ですよね」

 

いろいろなカオスの現象を教えてくれた藤本さんは、ついに、自分の人生にそれを重ね始めた。

 

「僕が M1だったときに、指導教官から毎日、『君は何に興味があるのかね』っていわれ続けていたんです。それで僕は、『人と出会い,少し相互作用して、また別れる、そういうのに興味があります』といってしまったんですね。そしたら、指導教官は『うーん,詩だなぁ』っていうんですよね」

 

会場から笑いが起こる。

 

「これは、カオス的遍歴に似ているということに気づいたんですよね。あるときには巻きついてしばらく滞在するんだけど、そのうちそこから離れていく。また、違うアトラクターにしばらく滞在する。いつ動くのかは、予想が難しい。人生は、カオスですよね」

 

名言や……と会場の皆が感心。

そして、何と、藤本さん自身のカオス的人生が赤裸々に披露された。

 

「大学院生の頃から、世界のいろんな場所を僕はウロウロしてきました。世界中にいろんな民族がいることとか、素晴らしいと思っていたんです。中国の黄土高原の農村社会の情報伝搬力学とか、土壌侵食パタン形成の力学とか、現地に行って研究を試みました。そのあと、カオスのサイエンスとアートとの融合も、試みました。川面に数値計算で生成したカオスの映像を写したり、とか」

 

くしくも、その後は、藤本さんのアート作品の上映会へと突入していった、第2回『しゅんぽじおん』。

藤本さんの人生のカオス度の高さに、会場は心を奪われていた。

 

理学の饗宴『しゅんぽじおん』は、さまざまな専門性をかき混ぜて、新しいプリンシプルという秩序を生み出そうとする場である。じつは、それはカオスそのものである、と、盛田さんと藤本さんは教えてくれた。

 

次回もどうなるのやら、楽しみである。

 

 

「(理学の響宴) しゅんぽじおん」とは

プラトン(Platon)著の『饗宴』で書かれた,科学者が集まり,議論をしかけ,話を膨らませ,『知への愛,フィロソフィア』を説く饗宴。堅苦しくない場でざっくばらんに話し合うことで、新たなアイデアを生み出そうという試みです。第1回は「時間とは?」をテーマに,上田昌宏(生物),橋本幸士(物理)が 登壇。ポスターは「こちら

 

執筆:大阪大学 教授 橋本幸士
大阪大学素粒子論研究室 
(大学院理学研究科 物理学専攻)

掲載元:パリティ 
Vol.32 No.09 2017-09

 

 

20176 2日午後5時,大阪大学理学部。教育研究交流棟の3階に,議論好きの科学者がぞろぞろと集まってきた。

これは,その実録である。

 

 

生物学者が説く「時間とは」

 

「こないだ,ファインマン(Richard Feynman)の言葉がツイッターで流れてきたんですよ。引用してみますね」

 

そういって立ち上がった上田昌宏さんは,大阪大学で「1 分子生物学研究室」を主宰する生物学者である。

 

「ファインマンはこう言ってます。
『まず時間というものが何を意味するか考えてみよう。時間とは何であるか。時間のうまい定義があれば結構である。ウェブスター辞典をひいてみると「時間」は「間隔」であると定義してあるが,「間隔」の方をみると「時間」であると定義してある。これではあまり役に立ちそうにない』」

 

会場はさっそく,笑いに包まれた。

 

「じつは生物学では,『間隔』ぐらいでええ,というふうに,言い得てるとこもあるんです。生物学では時間そのものを問うのではなく,時間を認識するしくみ,その起源を問うんです。つまり,さまざまな周期現象,時間反転非対称な現象の生物学的意義,生存戦略,ですね。
ただ,ファインマンはこうも言うてます。『これら生物学の基本的な問題の多くは,じつに簡単に答えられます。それぞれのものをみればいいだけですから!』
…おっしゃるとおり! 生物学では広く現象をみていくというのが大事なんです。生物における周期現象をみていきましょう」

 

上田さんは〈図1〉をみせてくれた。

 

〈図1〉 生物における周期現象の例

 

「横軸は時間,縦軸は空間のスケールです。脳のなかのa 波,こういうのは10 Hzのオーダーです。バクテリアの分裂は振動を利用していたりする。シアノバクテリアの遺伝子発現は,24時間周期になってるんですよ」

 

会場から質問が相次ぐ。

「やっぱり光を感じて周期を出してるんですか?」

「いや,真っ暗ななかにおいても,この周期を出すんですよ。『時間とは』っていう問いに対する生物学の答えは,こんなふうに周期現象とか成長とかが生物学のなかには本当にたくさんあって,それが時間なんですね」

「そもそもこの図はログスケールになってるんですけど,なんでですか」

「いや,皆さん物理の人もいるから,そう書いたんです(笑)」

 

そのとき,会場の紀本さん(後述)がコメントした。

「化学反応の拡散方程式が,指数関数の解を出すからでっしゃろな」

会場から,なるほど,の声が漏れる。

 

すかさずほかの質問が来る。

「シアノバクテリアができた頃は,地球の自転周期は24時間やなかったでしょ,どうなってるんでしょうか」

「じつは構造を少し変えると,周期をずらすことができるんです。そしたら,進化の過程で選ばれていったんだろう,と」

 

「昔は1日は何時間やったんですか」

この質問に,会場にいた太陽系物理が専門の方が即座に答えた。

「シアノバクテリアが発生した頃って,三十数億年前なので,1日は10時間くらいだった頃もある」

 

会場から「ほぉ~ 」という声。

「化学反応の速さって,ものすごい速いですね。それがどうやって,こんなに遅くなるんですか?」

「いや~,それは生物学でもわかってないんですね。測定すると,遅いわけです」

 

 

会場ががやがやし始めたので,上田さんは方程式を見せた〈図2〉。

 

〈図2〉 チューリングの方程式による振動現象

 

「周期的な変動,空間構造を説明する理論として,チューリング(Alan M.Turing)の反応拡散方程式というのがあるんです。生きものの表面の模様は,こんなふうにできているものがある。近藤滋さんの研究の,タテジマキンチャクダイとか。これは,2つの拡散方程式の組み合わせでできた,非常に簡単なシステムなんですね。正のフィードバックと,遅れた負のフィードバックが組み合わさると,さまざまな周期運動を生み出すんです」

 

上田さんは続ける。

 

「生きものの特徴は,環境に対してマッチしていく,ということだと思うんです。だから,時計みたいなものがあったほうが環境にマッチしやすいから,時計ができた」

1 日,っていう単位以外に,時計が必要なんってあります?」

「そりゃ,敵が襲ってきたとか,天候が変わるとか,いろんな環境変化に応じて反応せなあかんわけですからね,そういう時計,しくみが必要になる。細胞ちゅうのは,環境変動を内在化する分子反応システムなんですよ」

 

一呼吸おいた上田さんは,まとめ始めた。

 

「この考え方を突き詰めると,生物機械論になる。ある人は,こう言うたんです。『デカルト以来の素朴な機械論が分子生物学の発展によって復活し,強化された』。これ言うたんは,湯川秀樹です。
湯川は,こうも言うてます。『生物は積み木細工。加算的。部品主義。生物はどこで積み木細工を超えるか?』
それと,南部陽一郎さんは,京大の基礎物理学研究所での研究会で,大沢文夫さんへの質問として,こう言うてます。『いまの生物学は,ハードの学問。生物のソフトはどうなってるか?』」

「ソフトって,DNA ?」

「それはハードです。生物は情報処理マシーンやけど,情報処理の計算原理は何か,っていう話やと思うんです」

「それは化学の話やないですか。間違わないような化学反応を選んでそれを積み重ねてるんです」

「いや,いいかげんなところもあるし,でも全体としては調和してるんですよ。その計算原理がわかってない。いまの生物学は,“アンティキティラ島の機械(天体運行を計算するためにつくられた古代ギリシャの歯車式機械)”的な現象論(経験則)の蓄積なんです。けど,それはビッグデータであって,原理ではない。
物理学の歴史をひも解くと,ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)の非常に精密な天体観測があって,つぎにケプラー(Johannes Kepler)が楕円の運動を発見し,最後にニュートンIsaac Newton)が逆2乗則を発見する,という。それが大転換点やったわけです。
生物はいま,精密な観測ができるようになってきた。これから原理が発見されるには100年かかるかもしれへん。まあ,それまで楽しくやりましょうや,ゆうことです」

(一同爆笑)

 

 

 

『しゅんぽじおん』への経緯

 

少し,時間をさかのぼってみよう。

 

大阪大学理学部に新しい教育研究交流棟が完成した,20173月のある日のことだった。

基礎理学プロジェクト研究センターの新棟にはミーティングスペースとよばれる
新しい多目的オープンスペースが設けられたのだが,
そこを利用してどのように研究者たちを交流させればいいんだろう。
基礎理学のタネを,タコツボ化した専門研究からどうやってまいていけばいいんだろう。
そんな話を,私はセンター長の豊田岐聡さんとざっくばらんに話し合っていた。

 

そこに現れたのが,紀本電子工業の社長,紀本岳志さんである。

 

「私がスポンサーになります,サロンみたいなん,やりましょうや。
名前は『しゅんぽじおん』で行きましょう。
『シンポジウム』の語源やけど,『一緒に飲みながら議論する』ちゅう意味やし,ぴったりやわ。プラトン(Platon)著の『饗宴』(岩波文庫)読んだら書いてあるけど,最後はソクラテス(Sokrates)が立ち上がって,『知への愛,フィロソフィア』を説くんや。
この基礎理学センターで,理学の饗宴やで!」

 

かくして,企画『しゅんぽじおん』がスタートしたのである。

ワインとチーズを片手に,まったくバックグラウンドの違う2 人の科学者が,
毎回1つ決められたテーマについて語る。
それに,集まった科学者が議論をしかけ,話をどんどん膨らませていく。
そんな科学の源泉を,大阪大学で分野を超えてつくり出してやろう。

 

話はまとまった。あとは,テーマ,そして話し手,である。
企画を名乗り出た自分が,栄えある第1回『しゅんぽじおん』を成功させねばならない。
つまり,1人の話し手は,私だ。
対決したい相手,そして話し合いたいテーマは?
その答えは,すでに頭のなかにあった。

生物学者,上田昌宏さんと「時間」について話し合いたい。

それや!

 

 

 

 

素粒子論屋の「時間」

 

上田さんの話は,10分間の予定が35分になっていた。
これぞ饗宴である。

しかし饗宴は1時間で終了する。
橋本はこのすばらしい雰囲気を壊すことなく,饗宴を続けられるのだろうか。
立ち上がった橋本は,次のように始めた。

 

「では,素粒子論屋からみた『時間とは?』について,みていきましょう!
まず,どんな素粒子論屋に聞いてもそう答えると思うんですが,
アインシュタイン(Albert Einstein)によりますと」

 

 

「時間とは,時空座標の1 つである,ちゅうことです。1905 年の,特殊相対性理論。ここで,dtは微小な時間間隔,そしてdx とかは微小な空間間隔です。ds を固有長とよんで,これを不変にする変換がローレンツ変換で,cが定数である光速。
ほんで,もう1個言いましょう。松原武生さんってご存知ですか。大阪大学の卒業生ですよ。彼は,こういう話をつくりました。時間とは,温度である」

 

 

「これ,右側は量子力学の時間発展の演算子です。Hはハミルトニアン,ħはプランク定数,t は時間。ほんで,左側は,温度T においてエネルギーHの状態が現れる重みです。統計力学で勉強しましたね。松原さんは,時間を虚数にしたら,温度になる,っちゅうことを開発した人なんですよ」

「そういやアインシュタインは熱力学から,時間を虚数に考えたんちゃいますか」

「紀本さん,ええことおっしゃいますね。前の相対性理論の式をみてみると,時間を虚数にしたら,2乗されてますから,前のマイナスがプラスになる。空間とおんなじになるんですね。これを『ユークリッド化』ちゅうんです」

 

会場でうなずいている人がいるのは,素粒子論系の人たちが来ているからである。

 

「われわれ素粒子論屋は,毎日のように,時間を空間に変えてます。ほんまに。だから,H棟の7 階に来てもろたら,いつでも時間を空間にしてあげます」

(一同笑い)

「たとえば,宇宙がどうやって始まったか。時間の始まりは空間やった,という説があるんです。ホーキングStephen Hawking)とかが唱えてるんですけれども。こういうのをインスタントンってよんでます。とかね,いつでも僕らは時間を空間にしてるんです。けれども,じつは,空間を時間にしてる素粒子論屋はほとんどおらへんのです」

 

会場の素粒子論屋から「異議あり!」の大きな声が響いた。彼は次のように続けた。

 

「空間の3次元を全部虚数にして時間みたいにしたら,結局全部空間と同じやから,僕らもいつもやってるようなもんですよね」

 

橋本は,まさか身内から矢を射られるとはとうろたえたが,

 

「いやいや,3つの空間座標のうち1つだけ時間に変更する,ちゅうことはやらんでしょう」

 

そうやなぁ,という雰囲気が流れた。

 

「時間軸が2 つあると,じつはまずいことが起こるんです。タイムマシンができるわけですな」

 

橋本は〈図3〉を示した。

 

〈図3〉 時間が1次元の場合と2次元の場合
(a)通常の光円錐。そのなかを運動できる。(b)時間が2つある場合,運動して過去に行くことができる。

 

「まず,通常の,1つの時間やと,光速を超えない範囲ちゅうのを光円錐といって,この色をつけた部分がそれです。ほんで,もう1つの時間軸tを加えてみましょう。ほいだら,tt′は,空間と同じように回転できますから,色をつけた部分を回転させますね。そのなかを運動するとしましょう。ほら,もとの時間に戻ってくるような線が描ける。これは,タイムマシンですなぁ。こういうカーブを, closed timelike curveちゅうんです。これがあると,悪い時空や,と考えるんです」

tの方向が,小さくなって丸まってたら,気がつかへんから,ええんちゃいますか」

「それでも,ものすごく小さく回れば戻ってこれますよねえ。けど,1つの解決策があるかもしれません。みんなで考えましょう。もし,tにもtにも,ある向きしか行かれへん,っていうことを手で置いたら,いまのカーブは許されへんようになりますから」

「時間の向きって,どういうこと?」

「ゴミの散らかる向きです」

 

(一同爆笑)

 

「逆方向に進むのは反粒子ちゃいますかね」

「おお,今日僕は“HANRIUSHI”って書いたTシャツ着てきたんですよ,気づいてました?(笑) 人間の体が全部反粒子でできてたら,時間を逆行する気もちがわかるんですかねぇ。まあともかく,僕はこういうので悩んでた時期がありまして,それで,そもそも,時間が2次元あると,どんな難しいことが起こるのか,感覚的に確かめたくなりました。そこで考案したのが,この「時間2次元小説」です〈図4〉。横方向がt,下方向がtになってます。がんばれば,矛盾なく読めますよね」

 

 

〈図5〉 時間高次元小説
(a)時間2次元小説。(b)時間3次元小説。(プログラム:堂園翔矢氏)

 

 

2 次元にするだけで,とんでもなくめんどくさいですね」

「それがわかっただけでも幸いですよ,われわれ。まぁ,僕の話にオチはないんですけれども,そもそも研究室でも,時間はなんで1次元なんや,とか,そんな話せえへんのですね。
そやから,『しゅんぽじおん』みたいな場所ができて,ざっくばらんに原始的な議論できるのは,ほんま嬉しいです」

 

 

議論はその後,数時間続いた。

2回,はたしてどうなるのであろうか。

 

2017年10月12日 南部陽一郎ホールにて第23回南部コロキウム
「月に吹く地球からの風~月と地球と太陽が一直線にならぶとき~」を開催しました。

 

■講師
寺田 健太郎 先生
大阪大学大学院 理学研究科 教授

 

■講演
月に吹く地球からの風~月と地球と太陽が一直線にならぶとき~